書家 山本祐司 −正統と品格 清新な雅趣の創造− 本文へジャンプ

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2006年掲載・2019年改訂

「書」と「習字」

 

一般的に、「書」と「習字」は同じものだと考えられているようです。
たしかに書を習うことは習字ではありますが、
書と習字の間には根本的な違いがあると思います。

うまい字を書くには、こうやれば書けるよ、と言うことができますが、
これは書の技法を教えているだけで、習字ですよね。

「習字」とはお手本を基準にして字を習うことで、
「書」は自分が満足できる字を書くことが目標だと考えています。
一見同じように見えますが、ここには大きな違いがあります。

私のひとつの考え方ですが、
「書」はその過程で「守破離」を体験すると思います。

まずは徹底的に古典(法帖など)の書法(字形・筆づかい)を守る。
その書法をそっくり手中に収めたら、自分なりにその書法を解釈して、
古典の味(特徴)の最大公約数を掴んで、その人になったつもりで書く。
そしてその人になったつもりという感覚を捨てて、こだわりから離れる。
離れる段階では、運筆に滞りはなく、自在に手が動くようになっています。

しかし離れたあとでも、古典に存在する美的感覚を忘れないことが大切です。
離れる段階になれば、書かれた文字は「書」と言ってもいいと思います。

「習字」は、「守る」段階から抜け出していない状態です。
「離れる」ためには、古典を研究し、自在に線が書けるようになるまで
練習する以外には方法はないと思います。

存在感のある自分の作品を書くことを目標にしているのであれば、
安易に書ける筆文字アート的な発想に流れず、古典を学ぶことをお勧めします。

(筆文字アートや筆文字デザインが一概に軽薄であるとはいいませんが)。

古典や古筆という名品は、何百年、千年以上という時代を経ても淘汰されずに残った
美的価値の高い書跡です。特に余白のバランス感覚がすばらしい。
古典を基盤にした作品は、古臭いものでも野暮ったいものでもありません。
古典のエキスを吸収した作品は、本格的であり現代的であり、
見飽きることはない作品になっていると思います。

私は普段、古典を観るようにしています。
そして古典のエキスを抽出して自分の目と手に覚えさせるように努力しています。
これは「習字」ではなく「習書」といえるかもしれません。

美しいと感じるものを注意深く観察する、
それから相当な量を練習してテクニックを身に付ける。
これは絵画や音楽などにも共通することではないかと思います。