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書を親しむ人への提言 北大路魯山人
美食家、陶芸家として活躍した北大路魯山人。
魯山人は、20歳の頃に書に志し、30歳の頃より美術や料理に目覚めていきました。
つまり20代は書家であったわけで、書家として各地に食客として滞在する環境の中で
さまざまなものに興味を抱き、最終的には書家というよりも、美食家や陶芸家としての
魯山人芸術を完成させています。
魯山人は、書についていくつかの文章を残しています。
書の本質を探っていく過程で確信を得たと思われるその見識は、
なるほど、と思わせるものがあります。
書を楽しみ、書を嗜もうとする人への提言である魯山人の書道観。
魯山人が料理長をしていた料亭星岡茶寮で発行していた紙面などに
折にふれて発表していた文章です。
書の理解に役立つ内容だと思いますので、ここに一部を抜粋して載せておきます。
魯山人が書いた書道に関する文章にご興味がありましたら、
魯山人書論という単行本が出版されていますので、ご参照ください。
書の雰囲気と線質について。
自然界の中にも同じ線でありながら固い線、柔らかい線、
葉の硬い蘭のような、また万年青のようなもの、
あるいはまた、春に新芽を吹き出します糸柳、これはなよなよとして
まことに柔らかな、非常にいい線であります。
素直な糸柳はフラフラしておるからいけない、
という事はいえないのであります。それは皆が皆、同じ自然美を
もっているのであります。いやしくも書画をよくせんとするものは、
皆その天分に従っていいと思う。硬い柔らかいどちらも可否はないと思う。
魯山人は、書や絵画の作品において、
線の質は、硬いから強いとか柔らかいから弱いとかいう見方をしておらず、
自然美、つまり素直に書かれた線質を尊重しています。
学書の手本の選定について。
昔からたくさんの良書、能書が残っておりますから、
その中でもっとも自分に適するもの、自分の個性に一番よく合うもの、
自分の性分として、こういう字が好きだとか、こういう字が嫌いだとか
いうようなわがままを敢えていたしまして、自分の好き気儘な
習い方をするのがよいと思います。
それでも、まるきり問題にならないような字を問題にいたしましては、
これはもとより誤りでありますが、古来やかましくいわれております
ところの書には、そんなに間違った例はないようでございますから、
ぎこちない角張った字が好きな人は、その種の良い字を習えばよろしい。
魯山人はこのあとに続いて、顔真卿の楷書は一見ぎこちないようだが
非常に自由に書いているからそういう字を習ってもいいし、欧陽詢の
貴公子のようなスタイルのよい楷書を習ってもいい。これらはどちらが良い悪いと
いうことではなく、相応の価値のあるものなので、そういうふうに
習えばいいのではないか、と述べています。
書の技術の練習について。
技術的には、なんとしても練習をさかんに致すことであります。
技巧の練達は、昔から申しております技神に入るということに
なるのでありまして、図らずも自分の予想以上の実力が練習の結果として
生ずるのであります。
技術があるところまで練達しますと、技巧が自ら精神的になって来る。
従って図らずも思いがけない結果を顕わして来る。そこで初めて
その書が自分の身についたとか板についたということがいえるだろうと
思うのであります。
(中略)
では書道を根本的に理解して段々手習いしていけば、
お前のいうように書が上手になるかというふうに詰問されると
甚だ困るのでありますが、これにはまた生まれつきというのがありまして、
俗にいう瓜の蔓には茄子はならぬと申しますように、
瓜は瓜にちゃんと生まれついておるのですから、
いまさら瓜に茄子がなるはずがないのであります。
しかし、それは少しも恥ずかしいことではない。自分は自分だけの
天分を守って、自分に安んじて可なるものだろうと思うのであります。
書く人の心が書に自然に反映されるように、技術の修練を積むことは大切です。
技術や技巧というものに対する見識が未熟であった場合には、
どう書こうかという技巧ばかりが目立ってしまい、臭みのある字になり、
書の本質の美しさ、つまり、自然に書かれた素直な書で、いい感じがする書に
近付いているとはいえません。
魯山人は、入神の技、図らずもいい結果が出た書を尊重していたことがわかります。
魯山人の、自分の天分を守って、その人の持つ味わいに安んじて可なるものである、
という言葉は、どのようなことをするにも大切なことだと思います。
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ついでに、魯山人の書についての私見を軽く述べておきたいと思います。
現在、魯山人の書作品は、評価が分かれるのではないかと思います。
専門的に書をやっている方にとって、魯山人はあまり、という評価かもしれません。
古美術の世界では、魯山人の書は評価され高い価格で取引されているようですが、
これは芸術家として優れた評価のある魯山人の書ということでの価格だと思います。
私自身、太筆を使って書いている半切の掛軸のような大きさの作品は、
技術的にどうだろうな…と思うものもありますが、以前実見した作品では、
大ぶりの字が書かれているものや、細筆で小さな字が書かれているものに、
これはかなり品の高さのあるいい書だなと思ったものがあります。
どちらかというと、太筆でザザッと書いたものよりも、良寛や池大雅などの書を意識して
書いたもの、小筆で良寛や隷書風に書いたもの、特に画賛として書いたものなどに
見るべきものが多くあるように感じます。
あと、文字を板に彫った刻字作品は、刀の切れ味の冴えが加味され、
なかなか味わい深いものがあります。
魯山人は、書家というよりは芸術家というジャンルに近い感じがしますが、
有名な中国の書論と同じような内容のことを述べていることもあり、
書の本質について考えながら取り組んでいたであろうことが窺い知れますので、
このような書家のジャンル以外の人で書に造詣のある人の言説や作品に
触れることもなかなか楽しく、学書のうえで参考になることだと思います。
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